趣味

2013年5月 8日 (水)

お別れのご挨拶。

本日をもって「昭和のクリップさん」を終了させていただきます。

今までも、何回か中断がありましたが、なんとか頑張ってまいりました。

このブログをスタートしたのは2010年10月でした。タイトルのように、昭和を生きてきたクリップさんが、自分の生きてきた84年間(今年が巳年)の今までを何かの形で残したいと思い、つれづれなるままに、収集した資料の紹介を兼ねて、書き連ねてまいりました。

短い間でしたが、拙文とお付き合いいだきありがとうございました。

このブログは、当分(クリップさんがキーボードを叩けなくなるまで)このままにしておきますので、もし書き込みがこざいましたらご自由にお使いください。みなさんの落書きの場、あるいはうさ晴らしの場として年齢に関係なく 利用してください。

クリップさんも時々お邪魔するかもしれません。

それでは、お元気で・・・・・・・。

2013年5月 6日 (月)

昭和23年の出来事

Img_0399生前のハチ公と2代目の銅像 バックの雑踏は現在の渋谷のスクランブル交差点(クリックで拡大)

[出来事]  国民の祝日に関する法律公布

        五円穴なし黄銅貨発行   五銭/拾銭紙幣発行

        厚生省が児童福祉法に基づいて「母子手帳」を発行

        物品販売価格取締規則を撤廃、日用品が自由に買える

        警視庁が犯罪専用の電話番号「110」を実施

        警視庁は「人は右 車は左」の対面通行を実施

        警察の所管だった消防が自治体消防として独立

        東京・三田に自動車練習所公認第一号設立

        新制女子大創設 公私立12校の新制大学認可

        東京・両国隅田川で花火大会復活

        東京・渋谷駅前に「忠犬ハチ公」の二代目銅像復活

[ラジオ]   「時の動き」 「ニュース解説」 「新しい農村」

[会社設立]  セメダイン 山崎パン 日清食品

[新商品]   国産最初の「セロテープ(20円)」がニチバンから発売

         国産第一号の「ボールペン」が三越デパートから発売

[ファッション] リーゼントスタイル 女性の下着(ブラジャー・コルセット)

[スポーツ]   古橋広之進が400/800/1500mkの自由形で世界新記録

[流行語]    斜陽族 鉄のカーテン アルバイト 老いらくの恋 ノルマ 

[流行歌]    東京ブギウギ 湯の町エレジー あこがれのハワイ航路

[映 画]  酔いどれ天使 手をつなぐ子等 夜の女たち 蜂の巣の子供たち

       ヘンリー五世 逢いびき 我等の生涯の最良の年

[出 版]   斜陽(太宰治) 俘虜記(大岡昇平)


2013年5月 5日 (日)

戦後のラジオブームを振り返る

Img_0397高級ラジオと真空管の変遷(クリックで拡大)

戦争が終わって電波解禁になると頭の上を飛び交っている世界の電波を捉えて聞く「OXブーム(遠距離受信)」が盛んになります。これは一種の遊びでして、アマチュア無線がまだ解禁になっていない頃、短波放送を受信してその放送局に受信したことを連絡すると「DXカード」を送ってくれます。

NHKラジオでも、朝の6時から夜10までの全日放送を開始しましたから、一日中何かをやっていました。

最初は聞こえればいいと思っているラジオでも、次第に音質がいい高級なものが欲しくなります。

上のラジオは、横行ダイヤル(中央下)がついて受信したいラジオの電波に正確に合わせることができるようになりますが、さらに右上に「マジックアイ」と言う真空管があって放送局の周波数に合ったときは中央のインジゲーターがピタッと閉じてくれます。これも高級感のシンボルになりました。さらに中のスピーカーはダイナミック型になって音にうるさい音楽マニアが競って購入しました。

また、中に使用している真空管も、写真左にある大きい方はGT管と言って戦争中、軍の無線機に使用していたもので無線機を乱暴に扱っても壊れないように作られており、寿命も長く故障も少ない優れた真空管で高級感を出すために使用されました。

さらにその左にあるのはMT管(ミニチュア管)と言って親指ほどの大きさで、携帯用ラジオの容積を小型にする場合に使われましたが、電池の消耗が激しくて、普及しませんだしたが、キャビネットのプラスチック成型が可能になってくると、一般向けのコンパクトなラジオに使われるようになり、ラジオ用真空管の主流になって来ました。

このMT管はラジオよりも、その後のテレビ受像機に全面的に使われるようになり、トランジスターテレビになるまで中心的存在になりました。

2013年5月 4日 (土)

戦前と戦後の値段の推移

Img_0396マッチとクレヨンの例(クリックで拡大)

下記は昭和16年頃の公定価格による価格と戦後の推移で、昭和24年は公定価格が撤廃された後の参考価格です。上の写真は昭和16年代のものです。

        昭和16年       昭和21年       昭和24年

たばこ       10銭          11円          15円

そば(もり/かけ) 10銭          -                           15円

入浴料金(大人)  8銭          30銭          12円

路面電車     11銭          40銭           5円

マッチ       13銭          3円           20円

電球        42銭          6円           50円

亀の子たわし   15銭          3円           15円

キャラメル     10銭         →            20円

クレヨン       31銭         45銭          40円

          註=価格は推移の傾向を示すもので正確ではありません

2013年5月 3日 (金)

懐かしいボンネットバス

Img_0392昭和23年頃のボンネットバス(クリックで拡大)

東京市内に乗合バスが走り始めた大正末期は、働く女性の職場としてあこがれでした。その頃は36人乗りで、車掌はドアを開けて地面まで降りて応対した姿と柔らかい声が乗客に好感を与えました。

最も、活躍したのは関東大震災の時で、市内電車に代わりに甲斐甲斐しく働く彼女たちは笑顔で乗客を運んで喜ばれました。

それまでのバスは海外のフォード車のもので昭和になって国産(24人乗り)のボンネットバスが走り始めました。

戦後、最初に作られたのが上の写真の大型ボンネットバスで、広々とした車内はお客に大好評でした。

それとその後に登場するリアエンジン型と大きく違うのは運転席が前にあって視野が広く非常に操縦性がよいのですが、ボンネット型は衝突の際の衝撃のクッションになる利点もありました。

それまでの日本の乗合バスはすべてボンネット型であったため特に意識することはなかったのですが、運転席が前面にあるリアエンジン型が普及してくると旧型という意味も含めて区別するようになり、時期的に地上から消えたこともありました。

それが、昭和70年代になると山間地の観光ルートに再び登場して観光客の眼と乗り心地を楽しむ乗り物になりました。

2013年5月 2日 (木)

昭和20年代の電気器具の例 (家電ブームの始まり)

Img_0394一般家庭用電気器具(クリックで拡大)

昭和20年代中期になって、ラジオ、電熱器、アイロンなどの電気製品が市場に現れると、電力会社から割り当てられた電灯用キーソケット(写真左)だけでは不便で二股ソケット(写真左上)を差し込んでその下に電球を入れ、脇からラジオやアイロン用のプラグを差し込んで使用しました。

さらに扇風機や電気こたつを使うようになると、差し込みソケットがさらに必要になりました。

昭和28年になると「家電元年」と言われ、白黒テレビが発売され、噴流型洗濯機も出現して、昭和30年には自動式電気炊飯器(略して電気釜)が市場に出て話題となりました。

戦前から店を構えていた山際電気、広瀬無線などに加えて、石丸電気、志村無線などが加わって秋葉原西口に大電気店街が出現することになります。

屋号に「無線」とあるのは、戦後間もなく真空管やスビーカーなどの部品を集めてアマチュア無線機やラジオや電蓄の自作を始める若者の街だったからです。

それがエスカレートしてレコードを聞くためのオーディオ機器の製作熱が高まり、真空管アンプや大型スピーカーを造る「オーディオブーム」に拍車をかけることになります。

最初は、問屋だったので「素人の方はお断り」の貼り札が下がっていたそれらの店も、家電ブームに乗って、卸価格で販売することが許され、一般の人たちでも安い値段で買えるようになり、「秋葉原に行くと安く買える」と評判になって全国大都市にも飛び火して行きました。

2013年5月 1日 (水)

日本初のセロテープ

Img_0389セロテープはニチバンの商品名(クリックで拡大)

今では、「セロテープ」は家庭の必需品になっていますが、昭和23年頃の日本では誰も知りませんでした。

まだGHQが活躍していた当時、日本国内の郵便ポストに投函された郵便物はすべてGHQの検閲が必要で、封書は下部を鋏で切って中の文書をチェックしてセロテープで封をして宛先に送られました。

そのため、鋏で切られた部分に「検閲をした」という英文の説明を書いた透明テープでシールされました。この検閲を実施するにあたりシール用のテープが本国から間に合わず急遽日本の絆創膏メーカーのニチバンに制作依頼が来ました。要求は透明のテープに文字を書いた片面粘着テープでした。

たまたま、ニチバンではアメリカの3M社のメンディングテープ(上の写真のバック)を見本に商品開発に着手していたので、要求通りのテープを約一ヶ月で試作品を届けたところあまりの早さに驚いたということで、大量の注文が舞い込みました。

ニチバンでは、早速国内向けに「セロテープ」の名称で商標登録すると同時に発売を開始しましたが、日本国内ではまったく売れません。その理由は使い方がわからなかったからです。社員たちは何に使うのかから入って全社員がセールスの説明に日本中を駆け巡りました。

学校、会社、梱包工場、事務所、商店などに持ち込んで一人一人に説明して回りました。その甲斐もあって昭和30年頃から存在が知られるようになりました。と同時に一般名称は「セロハンテープ」と言うのに「セロテープ」がそのまま流通することになりました。

これは、かつて「味の素」は商品名なのにラジオのお料理の時間で講師が「味の素を少々・・・・・・」と発言したこともあったように、ほとんどの人が「セロテープを下さい」と買いに来ました。


2013年4月30日 (火)

東京・両国 隅田川で花火大会復活

Img_0390隅田川の花火大会切手(クリックで拡大)

昭和23年に11年ぶりに東京・隅田川の花火大会が復活されました。

東京の隅田川の花火大会の歴史は享保年間に遡ると言われていますが、明治になって両国で本格的な花火大会が行われるようになったようです。

大正年間に入って両国橋を挟んで上流と下流で競い合う仕掛け花火も出現して昭和に引き継がれています。そして昭和15年に戦争の勃発から中止され、戦後に復活されています。

上のバックの写真は、旧国技館がまだ両国にあった頃のもので、両国橋も鉄製になっていますが、戦後米軍に接収されるなどの紆余曲折があって大相撲は蔵前に移設されました。

現在の国技館は両国駅のすぐ前に建造されたもので、江戸東京博物館と並んで、東京の新名所になっています。

昭和23年には、第一回全国花火コンクールが開催されるなど華々しくスタートをしています。しかし、交通事情の悪化から両国橋の花火大会は昭和37年に禁止になりました。

昭和53年に隅田川花火大会と名称を変えて浅草、向島周辺に移り、毎年テレビ東京が独占的に放映して、現在に至っております。

上の中央にある切手は東京都が「ふるさと切手」として平成11年に発行したものからの抜粋です。


2013年4月29日 (月)

拾銭紙幣と五銭紙幣の発行

Img_0387戦後発行された拾銭と五銭紙幣(クリックで拡大)

昨日に続いて、2種類の紙幣の話題です。

拾銭紙幣は昭和22年、5銭紙幣は昭和23年に発行され、いずれも昭和28年に廃止されています。

昨日のこの欄で昭和22年には国鉄山手線の初乗り運賃が1円になったと紹介しましたが、この年に大人の入浴料金が1円に、食パンは昭和21年に1斤1円20銭に、鉛筆が1本が間もなく2円になっておりました。

と言うことは、上の二種類の紙幣が世の中に出た時は銭単位の買い物はすでに存在しなかったことになります。それまでのつなぎとして戦争末期の昭和19年に発行された5銭と10銭紙幣が(3月30日のブログ参照)廃止されずに通用していたのです。

どうしてもっと早く出せなかったのかと疑問に思われるでしょうが、昭和21年に新円切り替えと言う造幣局始まって以来の大改革(4月13日のブログ参照)によって新しい紙幣の発行が急務になり、銭紙幣の発行が後回しになりました。その時点ではこんなに早く物価が上昇するとは誰も予測することが出来ませんでした。

もう一度、上の写真を見てください。五銭紙幣は右横書きで、拾銭紙幣は左横書きになっており、五銭の「銭」の字が略字で、拾銭の「錢」は本字になっています。そして、昭和28年にこの4種類の紙幣は廃止になりました。

参考までに、昭和26年には山手線の初乗り運賃が10円になっていました。

2013年4月28日 (日)

一円黄銅貨と五円穴なし黄銅貨の謎

Img_0385昭和23年に発行された1円と5円黄銅貨(クリックで拡大)

コインに興味のある方は昭和23年に発行された上の写真の1円黄銅貨と5円穴なし黄銅貨が存在していたことをご存じと思います。

ちょっとミステリアスなお話ですが、お手元にある現在流通している1円アルミ貨を左の1円黄銅貨と比べて見てください。デザインが全く違います。

発行は昭和23,24,25年で打ち切られており、流通をストップしました。何故なら、この1円黄銅貨に使用している素材のコストが短期間に高騰して原価が跳ねあがったために、収集されて鋳つぶされないようにとの配慮でした。

そして、昭和30年の新アルミ貨が発行されるまで1円は紙幣(二宮金次郎像)のみになりました(4/13ブログ参照)。

その間の物価は急上昇して、山手線の初乗り運賃が1円(昭和22年)から、10円(昭和40年)になっています。(1円アルミ貨は昭和30年から発行)

しかし、物価の上昇はさらに続いて1円アルミ貨は家庭の引き出しに貯まるばかり、市場に1円アルミ貨が生産過剰になって一時休止したこともありましたが、平成元年からの消費税導入により1円アルミ貨(5円黄銅貨も)の流通が脚光を浴びることになります。

一方の5円黄銅貨も同様に素材のコストの上昇が危惧されて、現在の穴あきにして原価を引き下げ、途中で角ゴジック体(昭和34年)に変更しました。

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