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2013年4月 1日 (月)

国債、弾丸切手、勝札

Img_0330戦時中の国債の例(クリックで拡大)

現在では「宝くじ」の当選金額が1億円というのがありますが、戦時中は一枚十円が常識で、昭和19年に「大東亜戦争割引国庫債券」が最初のようです。

これは、大蔵省が音頭をとって「貯蓄総額230億円」と名付けた国民貯蓄運動です。その頃の国家予算が約80億円でしたから、その3倍近いの途方もない金額でした。(写真上)

当時、大蔵省では臨時資金調整法に従って戦時貯蓄債券とか報告債券を発行していましたが、これは通常の国債で、一定の期間がくると利子をつけて換金する方式でしたが、中には年に2回の償還金がつくのもありました。

これに加えて逓信省(郵政省)でも、「割引金付き郵便貯金」という新しい方式の債券を発行、よく当たると言うキャッチフレーズから「弾丸切手」と呼ばれて人気が集まりました。

そして昭和20年7月に究極の「勝札(拾円 写真下)」が発売されましたが、その翌月終戦なにりました。つまり「負け札」になったわけですが、8月になって長野県の山中でひっそりと抽選会が行われたと言う噂だけが残っています。

一方では、「五十銭預金」と言うのが流行っていまして、子供たちへの50銭の小遣いを郵便局の貯金通帳に毎月預けるのを楽しんでいた家族もおりました。そして、男子は兵隊になって入隊するとき(女性はお嫁に行くとき)にそのまま小遣いとして渡しました。

しかし、終戦とともに貨幣価値が下落、昭和20年末には銭の単位はほとんど通用しなくなっていました。

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