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2013年1月 6日 (日)

「肥後の守」ナイフの歴史

Img_0182「肥後の守(ひごのかみ)」ナイフの例

明治4年に寺子屋が廃止され、日本全国に中、小学制度が始まり、全国に学校が設立されました。

筆記用具として筆とともに鉛筆が使われたことは言うまでもありませんが、鉛筆を削るための学童用ナイフも必要になり、上の写真に見られるような折りたたみナイフが考え出されて学童たちにも普及したことは言うまでもありません。

その代表的なナイフが「肥後守(ひごのかみ)」で、昭和初期にはほとんどの学童の筆箱の中には、鉛筆や消しゴムとともに入っていました。

この肥後守と言うのは熊本の旧称でなく、兵庫県三木市が発祥の地で、このタイプのナイフをすべて「肥後守○○」と呼ぶようになりました。

上の左のタイプは大正末期のもので「肥後司春重」の銘と柄の裏側に5センチの目盛りか゛打刻されているので「センチナイフ」とも呼ばれます。

右の「肥後隆義」は現在でも全国文具店などで買えるタイプです。

昭和8年頃から中国で始まった戦いは日増しにき激化して、兵器に使う金属類が底を尽いて、お寺の梵鐘や一般家庭の鍋釜などの供出にまで及び、学校で使われる「肥後の守」にも迫って来ました。学童たちは短くなった一本の鉛筆を大事に削って勉強に専念しました。

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