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2012年12月 2日 (日)

昭和の子供は下駄を履いて学校へ。

Img_0126昭和の始めは下駄履き生活が主流

大正末期から昭和の始めにかけて、職業を持つ男女は通勤のために洋服を着、靴を履いて行くのが普通のスタイルで、学生や仕事をする人はそれなりの履物を履いてました。小学生の子供たちは下駄を履くのが通例でした。

上の絵は日常的に日本で使われていた「下駄」の代表的なもので、右上は男性の駒下駄です。年齢と共に自分の脚の大きさも変化して行き、極端な場合には1年間に3足履き替えることもありました。通常は長屋など隣近所同士で履けなくなった下駄を譲ってもらい、そして次に回すのが常でした。

女の子の場合も、歩けるようになると可愛い「ぽっくり下駄(左上)」を買ってくれますが、その次からは順番にお下がりが回されて、お正月にやっと新しい鼻緒の下駄を買ってもらえました。中央下のは、赤い鼻緒がついた幅の狭い女性の駒下駄です。子守りに出された女の子はかかとが減った草鞋でした。

上段の「足駄(あしだ)」は雨の日用で雨やしずくが跳ねが上がらないように高い脚がついていますが、男物用と女物用ではデザインも違い、激しい雨降りでは爪皮(つまかわ)を付けます(右下)。特にバンカラ学生は天気に関係なく音を立ててカラカラと歩き回りました。

「下駄」と言うのは日本独特の履物のようで、世界でも例がないようです。職業や自分の好みによっていろいろな形がつくられ、その例を簡単に紹介しておきます。 

[桐下駄] 素材が軽く歩きやすいのが特徴、値段が高く趣味人向け

[吾妻下駄] 表に畳表が貼ってある その他、[日和下駄] [厚歯下駄]など

終戦後、団地住まいなどで生活が洋式化してくると、狭い玄関に靴や下駄が氾濫する時代もありましたが、次第に靴が増えて行きました。


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