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2012年11月29日 (木)

東京・浅草公園六区の賑わいと紙芝居

Img_0121昭和初年ごろの浅草六区

東京の浅草の周辺を浅草公園と命名されたのが明治17年で、一区から七区までを分けて浅草寺裏手一帯に見世物小屋を移転し歓楽街にしました。

明治20年に常盤座をスタートに、演芸場、活動写真常設館、オペラ常設館が立ち並び、当時流行した安来節をはじめ芝居小屋が林立、東京でも例を見ない観光名所になりました。大正12年の関東大震災で崩壊しましたが、昭和時代になって復活、それまでの繁華街をしのぐ歓楽街になりました。

上の写真は当時の賑わいの様子で、電気館、オペラ館、帝国館、金龍館など、寄席、映画、サーカス、レビューなど、20軒を超える見世物が立ち並び、朝から夜まで賑わっていました。六区の名称はいまでも残っています。

一方では、街の子供たちのために街頭紙芝居がはやりはじめ、折から映画がトーキーに代わって、多くの弁士が職を失い、紙芝居の貸元が総元締めになって様々なプログラムが考えられました。特に評判だったのが鈴木一郎が作り出した白骸骨に黒マントの怪盗「黒バット」が大好評でしたが、そこに正義の味方として登場したのが「黄金バット(永松建夫の原作=右下の画面)、は子どたちのヒーローにっなって大活躍、当時は著作権など無視されて次から次へと話題がつながって行きました。

紙芝居のプログラムも映画と同様に、冒険もの、チャンバラ、大活劇、悲恋ものなどと2~3本立てになって、毎日が楽しみでした。

戦後、テレビジョン(モノクロ)が一般化してくると当初は「電気紙芝居」などと呼ばれていましたが、次第に生活の中に溶け込んで行くことになります。

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