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2012年11月25日 (日)

昭和初期の銭湯と番台の内部

Img_0116銭湯の正面(右 )と番台の様子

銭湯(せんとう)は明治の初めに「湯屋」が始まった頃、大人料金が一人一銭の時代に呼ばれた言葉で、昭和の初めは五銭でした。

銭湯の建物が瓦葺の豪華な屋根になったのも大正時代のようですが、浴室に富士山などの絵が描かれるのその頃で、湯と水のカランがついて現在のスタイルになります。入浴料金が1円になったのは昭和22年で50年には100円なりますが「銭湯」の愛称はそのまま残りました。

入浴料金は、女性が髪洗いをするときは別料金を払って「洗髪」と書いた札をもらいます。もう一つ「流し札」があって男女に関係なく三助が背中を流したり肩を揉んだりしてくれました。

子供料金は当然半額になりましたが、年齢によって差がありました。子供たちは広い浴室を裸で駆け回ったり、石鹸箱を使って「しゃぼん玉」遊びをしたり、大人たちの社交の場であるとともに、子供たちにも素晴らしい遊び場でした。

赤ちゃんや幼子を連れて行くと姐やさんが、着替えを手伝ってくれるサービスもありましたが、昭和30年頃から公団住宅などが増えてくると内湯が増えて銭湯も寂びれて行きました。

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