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2012年10月27日 (土)

一銭駄菓子屋の店先

Img_0070当時の一銭銅貨と駄菓子屋の例

昭和の初め、子供たちは小学校から帰ると、ランドセル(風呂敷もあった)を放り出して一銭銅貨を握りしめ(毎日もらえるとは限らない)、いつもの駄菓子屋に走って行くのが毎日の楽しみでした。

お目当ては、飴玉、ハッカ菓子、金平糖、おこしなど、買い終わると隣の子供たちが何を買うのかを見つめて次の目標にします。

文豪樋口一葉が生活に困って玄関先に駄菓子を並べて生活費の足しにした言う話が残っていますが、最初はいわゆる「駄菓子」が中心でした。

「駄菓子」と言うのは、上菓子に対しての言葉で砂糖を使わない家内生産によって手作業で作られる原価の安い子供用のお菓子のことで、一口飴やおこし、水飴、ふ菓子などです。明治の初期は一厘菓子というのもあったようです。

駄菓子屋の店頭には、口に入れるものだけでなく、女の子には折り紙やおはじき、ゴムひもなど、男の子には当てもの(くじ引き)、メンコ、ビー玉などのおもちゃも並ぶようになり、お正月にはお年玉で買える凧や双六なとも売っていました。

一方、昭和初期に映画業界ではトーキーの出現で弁士が失業して町中に一銭紙芝居屋があふれて、子供たちには楽しみが増えました。

一銭銅貨が流通したのは昭和13年頃までで、兵器の元になる銅に代わってアルミ貨が通用するようになりますが、食品の原料不足で駄菓子の姿も消えて行きました。

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