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2012年5月21日 (月)

カラーテレビが始まる

Img_0111初期のカラーテレビの例

昭和35年にNHKでは、本格的なカラーテレビ放送の準備のための専用スタジオの準備を初めています。日本で初めてカラーテレビの公開実験が行われた昭和27年の頃はアメリカ国内でも方式が決まっておらず、その一つのCBS方式(3色のカラー円盤がブラウン管の前で回転する)が明るくてきれいな画面で展示されました。

しかし、この方式にはいろいろ問題的があって実用化にはいまいちで、最終的にはNTSC方式になって実際の電波に乗りました。日本はこれにならってアメリカ、キューバに次いで3番目にこの方式を採り入れました。

実験段階でNHKがメーカーに依頼して試作した受像機はカラーブラウン管がアメリカから輸入した21型(21インチ)で、そのまま昭和35年に市販した時は一台52万円ほどでした。カラー受像機の価格は このブラウン管をいかにして安く国産化できるかが問題で、国内で製造するためにメーカーの技術者たちは懸命な努力を重ねました。

当面の目標は東京オリンピック開催までにカラー放送を実現したいとNHKでも必死になって取組み、その実現にこぎ着けました。

一方、モノクロテレビがかろうじて5万円台になって、その頃には一般家庭でも楽しめるまでになりましたが、カラー受像機の方は上記写真のようなデザインで50万円を超えていました。

従って、東京オリンピックの当日、電波はNHKのアンテナからはカラー放送で出ていましたが、一般のほとんどの人たちはモノクロ受像機で見ていたことになります。参考までに、カラー放送されたのは開会式、閉会式、レスリング、バレーボール、体操、柔道など8競技でした。

カラーテレビ受像機が10万円台になったのは昭和50年になってからです。今でも「いや、俺はカラーで見た」と言う方が沢山おられますが、まだ、ビデオレコーダーがない頃で、同時に制作したカラー記録映画の記憶がある方でしょう。


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