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2012年4月 4日 (水)

戦前の土俵には四本柱があった

Img_0346四本柱があった土俵(旧国技館)

昔の大相撲の土俵には太い四本柱が立っていて力士が鉄砲突きをやってもびくともしませんでした。昭和27年秋場所からにNHKテレビ(モノクロ)が中継することになって、カメラの邪魔になるので天井からロープで下げる吊り屋根になりました。柱にはそれぞれ青色、赤色、白色、黒色の布が巻かれて四季の神様を表しておりましたが、それらに代わる大きな四色の房が四方に提げられました。

これは、伝統を大切にする相撲協会の大英断でしたが、昭和2年のラジオ放送を開始する時にもそれまでのしきたりを変えた部分がありました。その一つが制限時間の取り決めで、呼び出しがそれぞれの力士の四股名を読み上げて行司が軍配を中に入れて二人を合わせてからお互いの呼吸がぴったりと合うまで何回でも仕切り直しができました。しかし、ラジオ放送には時間が限られますからNHK側の要望を入れて、幕内力士は十分、幕下力士は五分とし、時間係りの親方を設けました(戦後はさらに短縮して幕内力士四分、十両力士三分になる)。

さらに、土俵中央に白いペンキで仕切り線を引き、二重になっていた土俵をメートル法の4.55mの一重だけにするなど大改革が行われました。

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