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2012年3月31日 (土)

戦後の一番機が羽田飛行場を離陸

Img_0322戦後の一番機の整備作業を待つ乗客たち

戦後アメリカ軍の統制下にあった日本の空が一部解除されて昭和26年10月25日に満員の乗客36人を乗せて羽田飛行場を飛び立ちました。上の写真はその時の様子で、飛行機は双発プロペラ機マーチン202型「もく星号」。滑走路の端の誘導路に止めて整備作業が終わるのをを待つ乗客たちです。

東京‐大阪間の運賃は6000円(汽車の旅客運賃は三等車でほぼ800円)、初日は予約客もあって満員でしたが、二日目からは10人ほどだったようです。午前と午後の各1便の発着でしたが、送迎ブリッジは見学客でにぎわいました。

ところが、翌年、4月9日午前7時42分に羽田飛行場を離陸した「もく星」が乗客33人を乗せたまま行方不明になりました。懸命な捜索の結果、大島の三原山(標高758m)の中腹に激突した姿で発見されました。日航機史上初めての事故乗員も含めて37名が犠牲になり、原因は不明のまま現在に至っております。

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