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2012年3月29日 (木)

大人が夢中になったパチンコ

Img_0321昭和26年頃のパチンコ店

昭和の初めに、デパートの屋上や遊園地に菓子自動販売機として置かれていたパチンコ台は大都市の繁華街に射的屋や弓場などと並んで大人の遊び場になっていました。一銭銅貨を同じ形のメダルに替えて球をはじき、下のポケットから紙にくるんだ飴が出て来ます。たまたま当たると箱に入ったキャラメルが子供へのお土産でした。戦争が激しくなってくると鉄の球や銅貨が回収されてパチンコは姿を消しました。

昭和25年頃、名古屋市内のパチンコ台を作っている寿製作所に正村竹一と言う人が訪れて彼が工夫したパチンコを持ち込んだのですが、これがその後の日本のパチンコ業界を一変させる「正村ゲージ」でした。

長さ一寸(33mm)の真鍮の釘を今までにない配列で打ち込み、途中に花車やポケットをおいて釘の開きを微妙に調整してパチンコ球を自由に操ります。特定のポケットら入ると15個の球が「チンじゃらじゃら」と出てきます。つまり、釘の曲げ方で思うように操作ができる優れもので忽ち全国に評判になりました。最初は、左手で球を持ち右上の穴に入れて右手で弾くシンプルなもので、お客は立ったままでした(写真)。まだ、派手なネオンサインも軍艦マーチもない頃でしたが、昼間は近所の奥様型、夕方から通勤帰りの男女で満員でした。そして、さらに虜にしたのはチューリップの出現でした。日曜日になると「未成年者お断り」でも同伴者がついていればフリーパス。

やがて昭和46年頃から電動式が現れて、回転椅子も用意され、裏では釘師の手加減で当たり台が自由につくれ、パチンコ熱はエキサイトして行きます。貸球料2円は昭和24年から46年まで続きました。景品にはたばこ、お菓子、靴下、衣類品、家庭用品などが用意され、合法的な景品買取りシステムも認可されてパチンコ天国は発展して行きます。

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