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2012年3月22日 (木)

東京から大阪まで半日かかった昭和20年頃の電話回線

Img_03063号自動式電話器と電話交換手(昭和初期)

写真の電話機は昭和初期のダイヤル式卓上電話機と手動式交換台の例です。

ダイヤル式電話器とは言うものの、当時直接かけられるのは市内局番(例えば東京区内)だけでした。

昭和20年の段階でも、東京から大阪へかける場合は、まず、自分がいる場所の電話局の交換手をダイヤルで呼び出します。「はい、何番ですか?」と聞いてきますから、まず自分の電話番号を言ってから希望する相手の電話番号を告げます。この番号をお互いに復唱して「それではお繋ぎしますから、電話を切ってお待ちください」と言われて受話器を置きますが、それからが大変で、繋がるまで席を立つことができません。ひたすら、ベルが鳴るのを待ちます。

相手の交換手は最も近い隣の中央電話局(東京の場合は横浜局など)の交換手を呼び出して相手の電話番号を伝達します。さらに次の電話局へと中継して行きますが、その時 差し込んだプラグは話中(わちゅう)になってその通信の通話が終わるまで抜くことができません。この間、10局以上の交換台を経由し、時間をかけて中継して行きますが、相手に繋がるまで、通常でも数時間かかります。そして相手が出るとやっとベルが鳴って直接話ができることになります。そのため、遠距離にかける場合は会社に1時間ぐらい早く出勤をしなければなりませんし、数人が交代で話を交わすこともあります。特に新聞社などのように時間を争うために全国の主要都市と直通の電話回線網を電話局と契約している例もありました。

急ぎの場合は「特急で」と頼むこともできましたが、当然値段が高くなります。そのため、略号などを使って電報で用を足す方法もありますが、現在のように世界中にダイヤルで直接電話がかけられることなど夢にも考えられないことでした。

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