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2012年1月 8日 (日)

東京湾にもう一つのはね橋があった

Img_0168 芝浦跳開橋(古川可動橋)

山の手線の浜松町駅から東南に行くと東京湾に出ます(左図参照=クリックで拡大)。

現在は大型船が発着する日の出桟橋になっていますが、昭和初期は新橋(汐留)から発車する貨物列車の操車場になっていました。

その内側には地図のように運河があって、荷物を積んだ船が東京湾に出入りするために古川可動橋を設けてその都度開いていました。この橋は昭和5年に当時の橋梁技術を駆使して完成した長さ30m、幅2.8mの片開き可動橋です。

通常は開いており貨車が通る時だけ降ろしますが、いつの間にか東京湾巡りの遊覧船の観光名所になって船が近づくと開閉して見せてくれました。片側だけが開くのは世界でも珍しく上流に勝鬨橋が出来るまで評判になっていました。

人も車も通らない国鉄の貨物車専用の橋で昭和40年頃まで使われており、隅田川にかかるもう一つの開閉橋・勝鬨橋は上流に佃大橋が完成して、大型船の通行もなくなり、昭和45年で開閉橋の役割を終わりました。

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