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2011年12月28日 (水)

庶民の娯楽センター「パチンコ」

Img_0140 昭和10年頃のパチンコ店(上)

当時の庶民の娯楽は、映画、赤ちょうちん、繁華街のゲームセンターなどが中心でした。駅の付近には○○銀座と云われた商店街が並びその中に射的、弓場、吹き矢、ポール投げなどに加えて親指で弾くパチンコもありました。

上の写真はその例で、両側に20台ほどのパチンコ台を並べ、床は土間のまま、椅子はありません。中には下駄履きや子供もまじって玉を弾いています。その頃は玉が1個1銭、1銭玉の表には皇室の菊のご紋章がついているのでそのまま遊びに使っては畏れ多いと同じサイズのメダルに交換し遊びます。「チーンジャラジャラ」ではなくて、ひたすらてっぺんのポケット狙い。下の穴まで行っても紙にくるんだ飴玉が一つ出ます。中にはいろいろな仕掛けもあって下にあるハンドルの操作で玉を誘導するマシンもありました。うまく入れば10個入りキャラメルが出て来ます。

やがて、中国大陸で戦争が始まると金属の回収が始まり、パチンコ店は一斉に閉店。右下の写真は戦後間もなく出現したパチンコ屋で、普通の駄菓子屋のような雰囲気でした。

昭和25年頃になると派手な軍歌マーチなどで煽りたてるチン・ジャラパチンコ店が続出、最初はオール15でしたが、チューリップポケットなどがついて、競争が激しくなりました。

左の写真は眠りこけてる子供を肩車にお父さんは玉の行方に血眼です。

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