2012年5月25日 (金)

EEカメラ「キャノネット」発売

Img_0116EE(電子の眼)カメラ「キャノネット」

昭和36年頃のカメラファンが最も手こずったのはカメラの絞りとシャッタースピードの設定でした。そのために常に露出計を携帯して、シャッターを切る前に被写体の明るさを計りました。もっとも難しいのが動きがある人物撮影でした。

動いている被写体を撮る場合はシャッター速度を優先して高速シャッターを使用しなければぶれてしまいます。反対にしぼりを決めてからシャッターを押すと適切な明るさが得られません。その使い分けがカメラマンの腕の見せ所でした。

この露出を適切に判断してシャッタースピードを自動的に設定し、人間はここぞと思う時にシャッターを押すだけで最適な写真が撮れるようにしたのが「EEカメラ」でした。

それまでは、高級35ミリカメラ(フォーカルプレーンタイプ)だけを市場に送り出していたキャノンカメラ社が、レンズ・シャッター式でスピード優先タイプの「EEカメラ キャノネット」を18,800円で発表、しかもf/1.9の明るいレンズ付きですから世界のカメラ業界は騒然としました。

ファン(ほとんどが業界関係者)は店頭に並ぶのを待って、1週間分のメーカー割り当て台数が2時間で売り切れと言う驚異的な反応でした。

これほどまでに話題になったEE(後にAEと言われる)カメラは、レンズシャッターだから可能になったので、レンズ交換ができる一眼レフカメラではさらに複雑なメカニズムが必要になり市場に出るまでにはかなり時間がかかりました。

2012年5月24日 (木)

ワンマン運転の始まり

Img_0118都営バスで使用したワンマンバスの例

「東京のバスガール」などで知られる乗合バスの女性車掌は大正時代からあって利用者には人気がありました。戦時中は男性が少なくなって女性がハンドルを握った時代もありましたが、戦後も大都市では昭和30年代にまで活躍していました。

労働基準法によって女性車掌の深夜勤務が制限を受けて、昭和26年頃から大阪市内のの一部の区間にワンマンバスが走った記録がありますが、昭和35年以降になると大都市の路線電車にも導入され、さらには一般の鉄道にも全国的に拡がりました。

東京で採り入れられたのは昭和40年の1区間20円になった年からです。上の写真はその時の第一号車でリアエンジンになって運転手の全面視野が広くなったのが特徴です。(写真は「都営バスのあゆみ」より)

運転手は、バス停に停まると乗客のための後部ドアを開けると同時に前のドアを開け、乗車賃を受け取りながら、お釣りを出さなくてはなりません。当初はマイクがありませんから大声で怒鳴ったりしてお客との会話に苦労しました。

途中からマイクが採用されたり、8トラックのテーブレコーダーがバス停の案内をするようになって負担が軽減しました。

2012年5月23日 (水)

戦後は赤坂離宮の中にあった国立国会図書館

Img_0113現在の本館の一部と新築開館を記念した切手

現在の国立国会図書館は明治24年に設立された帝国図書館で終戦後、衆参議員の調査機関として国会法で設立されています。ところが膨大な蔵書を保管し、閲覧室まで収容できる建物がなく一時期、旧赤坂離宮(現在の迎賓館)を仮庁舎として開館しました。

赤坂離宮は国賓を迎えるための建造物で明治時代に建てられました。建物自体がそのように造られており、絢爛豪華な装飾を施した広間やシャンデリアで飾られた会議場などがそのまま残っており、一般庶民が入ることが出来ない場所でした。

帝国図書館とは言うものの戦後の建物は空家同然になっており、図書館として一般人も自由に出入りできましたから、調べ物をする学生たちにまぎれて壁の装飾や調度品などを眺めることができ、暑い夏などは絶好の昼寝の場所でした。現在では、広い敷地は大理石(?)の塀と厳重な門に囲まれており、容易に近づくこともできませんが、気楽に出入りできたことが今では夢のような気がします。

当時は、帝国図書館が所有していた約100万冊と上野図書館に一時保管していた約100万冊、合計205万冊で国立国会図書館がスタートしていますが、昭和36年に完成した千代田区永田町の本館(上記写真)に結集して、1200万冊を収蔵する巨大な図書館になりました。

2012年5月22日 (火)

昭和35年の国内の動き

Img_0112「上を向いて歩こう」のジャケットと切手

[出来事] 池田内閣が「国民所得倍増計画」をスローガンにする

       日本社会党の浅沼稲次郎委員長が演説中に右翼の少年に刺殺される

[話 題]  東京23区内の電話局番(03局内)を3桁にする

       特殊簡易公衆電話(ピンク電話)を喫茶店などに設置

[NHK 番組] カラーテレビジョンの実験局用専用スタジオが完成する

        「ブーフーウー」がカラー化される 「それは私です」スタート

[テレビCM]  「貼ってすっきりサロンパス」「ぐっと飲んだぜグロンサン」

        「カステラ一番 電話はニ番 三時のおやつは文明堂」

[民放テレビ] 白馬童子(テレビ朝日) 少年探偵団(日テレ) ララミー牧場(NET)

        民放テレビ局もカラーテレビ放送開始

[スポーツ]  大17回オリンピックローマ大会で日本が金4個 銀7個 銅7個獲得

[ファッション] Gパン アイビールック チャールストンスタイル

[流行語]  インスタント食品時代 家付きカーつきババア抜き リバイバル ドドンパ

[新会社設立] サンリオ ユニチャーム 東芝音楽工業 クレラップ

[新商品]  カラーテレビ21型が52万円

        ソニーが世界最初のトランジスター ポータブルテレビ「TV8-301」を発売

        大和ハウスがプレハブ住宅を発表

        ハウス印度カレー

        ロッテからクールミントガム(ペンギンマーク)を発売

        ダッコちゃん(ウィンキー)を180円で発売 大ヒットする

        「鉄腕28号(今井科学)」発売

        丸美屋が「ふりかけ のりたま(30円)」を発売

[流行歌] アカシアの雨がやむとき時 潮来傘 上を向いて歩こう 月の法善寺横丁

       有難や節 いぬのおまわりさん

[映 画]  おとうと 豚と軍艦 黒い画集 太陽がいっぱい チャップリンの独裁者

[出 版]  敦煌(井上 靖) 性生活の知恵(謝 国権) ゼロの焦点(松本清張)

[コミック]  星のたてごと チンコロ姐ちゃん 鬼太郎夜話 

      

2012年5月21日 (月)

カラーテレビが始まる

Img_0111初期のカラーテレビの例

昭和35年にNHKでは、本格的なカラーテレビ放送の準備のための専用スタジオの準備を初めています。日本で初めてカラーテレビの公開実験が行われた昭和27年の頃はアメリカ国内でも方式が決まっておらず、その一つのCBS方式(3色のカラー円盤がブラウン管の前で回転する)が明るくてきれいな画面で展示されました。

しかし、この方式にはいろいろ問題的があって実用化にはいまいちで、最終的にはNTSC方式になって実際の電波に乗りました。日本はこれにならってアメリカ、キューバに次いで3番目にこの方式を採り入れました。

実験段階でNHKがメーカーに依頼して試作した受像機はカラーブラウン管がアメリカから輸入した21型(21インチ)で、そのまま昭和35年に市販した時は一台52万円ほどでした。カラー受像機の価格は このブラウン管をいかにして安く国産化できるかが問題で、国内で製造するためにメーカーの技術者たちは懸命な努力を重ねました。

当面の目標は東京オリンピック開催までにカラー放送を実現したいとNHKでも必死になって取組み、その実現にこぎ着けました。

一方、モノクロテレビがかろうじて5万円台になって、その頃には一般家庭でも楽しめるまでになりましたが、カラー受像機の方は上記写真のようなデザインで50万円を超えていました。

従って、東京オリンピックの当日、電波はNHKのアンテナからはカラー放送で出ていましたが、一般のほとんどの人たちはモノクロ受像機で見ていたことになります。参考までに、カラー放送されたのは開会式、閉会式、レスリング、バレーボール、体操、柔道など8競技でした。

カラーテレビ受像機が10万円台になったのは昭和50年になってからです。今でも「いや、俺はカラーで見た」と言う方が沢山おられますが、まだ、ビデオレコーダーがない頃で、同時に制作したカラー記録映画の記憶がある方でしょう。


2012年5月20日 (日)

ピンク電話の想い出

Img_0109二種類のピンク電話機

ピンク電話は昭和35年と昭和47年の2回市場に登場しています。

上の左のものは昭和34年の赤電話機と青電話機と並んで35年に設置され、主として病院、アパート、喫茶店など人の出入りが多い建造物の内部におかれてていました。これは一般の加入電話としても使われ、時間を決めてその場にいれば自由にダイヤルしたり(有料)、待ち受け電話にも使えました。

必要な時はその電話の持ち主に言って切り替えて市外通話にもかけることができました。しかし、4年間で消え、大型赤電話機になりました。

昭和47年に登場したのが写真右の大型特殊簡易公衆電話(ピンク)で、喫茶店などで待ち合わせをする時に使われました。

一方、昭和25年になってからの黒い電話機「4号A型」は感度がよくなります。委託公衆電話機(赤電話)としてたばこ屋の店頭などにおかれることもありましたが、お店を閉めると夜間は使用できない不便さがありました。「4号A型」から各種のカラーバージョンが登場してきます。

昭和39年にはさらに性能を向上した「600形電話機」が現れて、一般住宅用にも拡張して行きます。短縮ダイヤルを可能にした゜プッシュホン」になるのは昭和44年からです。


2012年5月19日 (土)

世界最初のトランジスターテレビ受像機

Img_0108TV5-303とTV8-301(右)

昭和35年にソニーから、世界最初のトランジスター式テレビ受像機「TV8-301」が発表されています。昭和30年にトランジスターラジオを発表した時は、一足先にアメリカのメーカーが公開していたために2番手になりましたが、そのメーカーは途中で挫折しており、実質的にはソニーが世界のトップメーカーになっています。

今回のトランジスターテレビは一部に19個のダイオードを使用しているとは言うものの電子回路には23個のトランジスターを使い、他に例を見ない完ぺきな設計でした。

しかし、日本国内ではテレビジョン放送がスタートしたばかりで、当時の真空管式テレビでさえ高価な買い物でその上画面が8インチのポータブルタイプではちょっと手が出る買い物ではなかったようです。

その2年後に発表された、オールトランジスターテレビ「TV5-303型」はマイクロテレビとの愛称とともにクルマの中で見られるテレビとして世界のテレビ界から絶賛されました。

さらに、昭和43年に打ち出された独自のトリニトロン方式のブラウン管は明るい画面が評価され、その後のテレビ界に君臨することになります。

2012年5月18日 (金)

「ボンナイフ」の普及(少年たちにナイフを持たせないために)

Img_0107ボンナイフの例

昭和35年10月12日、当時の社会党浅沼稲次郎委員長が演説会で突然壇上に駆け上がった右翼少年の持つ刃物で刺殺されました。これは衝撃的な大事件として社会問題になりました。

その結果、少年たちにナイフなどの刃物を持たせないために鉛筆削り用の危険な道具の使用を禁止ました。

上の写真は、当時学校で使用していたナイフの例ですが、左の2つは「肥後守(ひごのかみ)」と言う大正時代から昭和20年頃まで学生たちが学校で使っていた折りたたみ式ナイフで、男女のほとんどが使っていました。戦争が激しくなって、金属が不足すると回収されて鉛筆を削るのに苦労しました。戦後は、手で回す鉛筆削り器が普及しますが、ほとんどの学生は工作をするために刃がついた小刀などを持っており、鉛筆にも使っていました。

それが、上記の事件から持つことが禁止され、カミソリの刃を使用する「ボンナイフ(中央から右)」が普及しました。

中央の2つはシガーカット(葉巻たばこの先端を切る道具)をまねたボンナイフでかなりいろいろなデザインのものが出回りました。右端のは赤い柄の部分を折りたたむと刃が隠れて安全な状態になります。

やがて、電動式の鉛筆削り器も普及しますが、消しゴムの半分ほどの大きさで鉛筆の先を入れて回すと削れる携帯型も使われました。

2012年5月17日 (木)

戦後のおもちやの歴史

Img_0106鉄人28号とダッコちゃん

戦後のおもちゃの流れ(昭和25年-39年)

昭和25年 年末に向かってプラスチックを使った国産のおもちゃが出回る

昭和26年 アメリカのB29をモデルにしたトミー社のおもちやが大量に輸出される

昭和27年 電動式おもちゃの自動車が発売される  食品「風船ガム」が大人気になる

昭和28年 隅田川を横断する模型飛行機大会が開かれる

昭和29年 ミルク飲み人形が大ヒット プラスチック製組み立ておもちゃが輸入される

昭和30年 無線操縦のラジコン自動車がおもちゃ売り場で大人気に

昭和31年 全国的にホッピングが大流行

昭和32年 トミー社の「しゃぼん玉を吹く象」が人気を呼ぶ カール人形がヒットする

昭和33年 「スカイ・ピンポン」がお正月に大ヒット 「野球盤」が大評判になる

昭和34年 アメリカから「バービー人形」が輸入される 国産ミニチュアカーが出回る

昭和35年 ビニール人形「ダッコちゃん」が日本中に流行する  玩具ピストル発売

昭和36年 「プラレール(トミー社)」が売り出されて大評判になる

昭和37年 歩行する人形と着せ替え人形が人気の的に バービー人形が輸入される

昭和38年 レーシングカーが次々発売される (テレビで「鉄腕アトム」が始まる)

昭和39年 テレビの「鉄人28号」や「鉄腕アトム」が発売される

  

2012年5月16日 (水)

昭和34年の国内の動き

Img_0094東京・日比谷交差点付近の交通渋滞

     ◇お詫び 5/10のタイトルは昭和33年の間違いでした。

改めて昭和34年の国内の動きを掲載します。

[行 事] 皇太子と美智子さま(現在の天皇と皇后さま)のご成婚

[出来事] 度量衡の改定 この年の1月1日よりメートル法を実施、尺貫法は廃止

      首都高速道路公団が発足(道路の渋滞を解決)

[話 題] 東京・上野に国立西洋美術館開館

      前年、南極昭和基地に残されたからふと犬タロとジロの生存を確認

      東京の地下鉄・丸ノ内線、新宿-池袋間が開通

[NHK]     教育テレビがスタート

[民放テレビ] スター千一夜(フジテレビ) ローハイド(NET)

[テレビCM]  ヤン坊マー坊天気予報 

[スポーツ] 昭和39年の夏季オリンピック大会が東京に決定

[ファッション] ミッチーブーム ミスユニバースに児島明子が選出初の東洋人

[流行語]  所得倍増論 カミナリ族 岩戸景気 わたしの選んだ人 タフガイ 

[新会社設立] 京都セラミック 日本ペプシコーラ 伊豆急行

[新商品] 日産自動車からダットサン「ブルーバード(685,000円)」発売

       オリンパスカメラから世界初の「オリンパス・ペン」発売

       サッポロビールから初の缶ビール発売

       東芝から日本最初のカラーテレビ発表

       白黒テレビが14型で5万円台になる

       世界最初のカッターナイフ発売

       大和ハウスからプレハブ住宅第一号「ミゼット」を発売

       スカイピンポン(トミー社)から発売される

       世界に先駆けてプラスチック消しゴム発売

[流行歌] 黒い花びら 南国土佐を後にして 古城 黄色いさくらんぼ さっちゃん

[映 画]  荷車の歌 人間の条件 キクとイサム 十二人の怒れる男 さすらい 影

[出 版]  にあんちゃん(安本末子) 告白的女性論(北原武夫) 波涛(井上 靖)

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